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少しだけ古典文学を・・・・

三教指帰 序
口語訳   三 教 指 帰

底本 日本古典文学大系「三教指帰 性霊集」(渡邊照宏 宮坂宥勝 校正)
                      岩波書店 昭和40年
参照 三教指帰               福永光司 訳 
                      中公クラシックス 平成15年
   三教指帰               加藤精神 訳注
                      岩波文庫 昭和9年
   三教指帰  弘法大師空海全集 第6巻 山本智教 訳注  
                      本多碩峯HPより
   三教指帰  世界の大思想Ⅱ-2 仏典  渡邊照宏 訳 
                      河出書房 昭和44年

口語訳の方針
 戯曲という性格を生かすため、会話体を基調として、読み易く、わかり易い現代語表現を第一とした。
 引用の故事来歴も簡潔に本文に盛り込むよう努めたが、叙述の流れを損なわず煩雑に過ぎない範囲に止めた。原文の気品と格調を伝えたかったが、それは到底訳者の力量の及ぶところではなかった。この拙訳が弘法大師の御著作が少しでも多くの方に親しまれる契機となれば、望外の幸である。(平成十六年十二月一日)

 文章が書かれるには理由があります。天が朗らかに晴れ渡っているときは、吉凶をあらわす象を垂れ、人が何かに感じるときには筆を取るものです。このために心の動きを紙に記して、鱗卦、耼篇、周詩、楚賦などの優れた古典が出来上がったのです。
凡人と聖賢、昔と今で、人も時も異なるとはいえ、人の憤りを写すのは同じこと、わたくしもここに志を述べましょう。
 わたくしは十五歳で母方の叔父で親王の侍講を勤める大夫阿刀大足に就いて、学問に喜び励みました。そして十八歳で大学に遊学し、雪明りや蛍火の下で書物を開いた古人を思って自分を励まし、眠気を払いのけるために梁に懸けた縄に首を掛け、また腿を錐で刺したという故事に己れを奮い立たせて、勉学に打ち込んだものでした。
 そんなとき、一人の沙門から、虚空蔵菩薩求聞持の法を授かりました。そのお経には「もしこの法によって虚空蔵菩薩の真言百万遍を誦すれば、たちまち一切の教法の文義を暗記することができる」と説かれていました。
わたくしは仏陀のお言葉を信じて、木を擦って火を熾すように、たゆまず精進努力しました。阿波国大瀧嶽に攀じ登り、土佐室戸岬で念慮に勤めますと、谷は響きを惜しまず、虚空蔵菩薩の化身である明星が来影しました。
そして朝廷の官位や市場の富などの栄耀栄華を求める生き方は嫌でたまらなくなり、朝な夕な霞たなびく山の暮らしを望むようになりました。軽やかな服装で肥えた馬や豪華な車に乗り都の大路を行き交う人々を見ては、そのような富貴も一瞬で消え去ってしまう稲妻のように儚い幻に過ぎないことを嘆き、みすぼらしい衣に不自由な身体をつつんだ人々を見ては、前世の報いを逃れられぬ因果の哀しさが止むことはありません。日々のこのような光景を見ては、誰が風を繫ぎとめることが出来ましょうか!
 しかし、わたくしに学問を教えてくださった叔父や、大学の先生方は、儒教が説く人として守るべき道をもってわたくしを縛り、出家の道が忠孝に乖くものとして、わたくしの願いを聞き入れてくれません。
わたくしはこのように考えました。
「生き物の心は一つではない。鳥は空を飛び魚は水に潜るように、その性はみな異なっている。それゆえに、聖人は、人を導くのに、いわゆる仏教、道教、儒教の三種類の教えを用意されたのだ。それぞれの教えに浅深の違いはあるにしても、みな聖人の教えなのだから、そのうちの一つに入るのであれば、どうして忠孝に乖くことになるだろうか」
 また、わたくしには一人の甥がありますが、この男は身持ちが悪く、人の言葉に耳を貸さずに、狩をして生き物を殺めたり、酒や女色や賭博に遊び耽ることをもっぱらの楽しみとしています。それは、彼が良き薫陶を受けずに育ったからでありましょう。
 このようなことが重なって、わたくしは日ごとに悩みをつのらせてまいりました。そのため、亀毛を儒者の賓客に仕立て、兎角を主人とし、虚亡を迎えて道教を述べてもらい、仮名乞児を煩わせて仏教の教えを示してもらいましょう。いずれも鋭い論鋒を連ねて、放蕩者の蛭牙公子を戒めるのです。この物語を三巻にまとめて「三教指帰」と名づけます。ただ憤懣に駆られてはやる心のままに書き記すもの、どなたかに読んでいただくようなものではありません。

                   時に延暦十六年臘月(一二月)の一日に