by 東京司法書士会 世田谷支部
自宅の敷地を測量したら、自分の土地だと思っていたところに、昔のあぜ道が紛れ込んでいた。そのあぜ道を、お金を払って行政から買い取るように勧められた。
突然そんなことを言われても・・・
そんな時の疑問にお答えします。
土地の所有者が、敷地に紛れているあぜ道を時効取得していて、本当は買い取る義務はないケースもたくさんありますから、ぜひ相談においで下さい。
世田谷区内の住宅地に水路・畦畔(あぜ道。旧公図では水路が青色・あぜ道が赤色で塗り分けられています)が含まれ、その所有権をめぐる所有者と世田谷区の紛争が起こっています。
平成22年3月13日の読売新聞は、「世田谷の元国有地、住民の時効取得認める」と題して、国有地のあぜ道を40年以上自宅敷地として使用してきた住民が、世田谷区に所有権確認を求めた訴訟で主張が認められ、平成22年3月9日に最高裁が区の上告を退けた(つまり住民の所有権が認められ世田谷区が敗訴した)と報じました。
どうしてこんな裁判が起こるのでしょうか?
現在の世田谷の住宅地も、昔は田んぼや畑でした。田んぼや畑には、農作業のためのあぜ道や水路がめぐらされていました。実際に耕作ができる田畑には所有者がいますが、水路は国有であり、畦畔は各民間農家が耕作のため敷地内に自ら作り、管理していたので、民有地であるとして処理されてきました。
ところが、その後宅地造成で田畑が住宅地に変わったときに、国が所有する水路やあぜ道の一部が住宅の敷地に紛れ込んでしまうケースがたくさん発生しました。
建売りの住宅を購入し、何も知らずに30年、40年と暮らしてきたのに、担保評価や売却準備などのきっかけで自宅の敷地を測量したら、そこに昔の水路や畦畔がまだ残っていることが分かり、区役所から買取を求められて戸惑ってしまう。
そんなケースが従来からたくさん発生しています。
すでに世田谷区では、平成16年から20年までに、141件の買取事例が発生しています。その総面積は3900平方メートル、買取の総額4億4000万円、1件あたりでは、買取額312万円、買取面積27.659平方メートルになります。
その一方で、自分には取得時効が成立していると考えた住民が、世田谷区に対してあぜ道の所有権の確認を求める裁判を起こし、1つの裁判では最高裁で住民の所有権が認められ(前記H22.3.13読売新聞)、もう1件も1,2審が住民の所有権を認めて、世田谷区が最高裁に上告し、その後上告を取り下げました。
同様の事案は世田谷区内に3万件以上あると推測されますが、いまのところ、世田谷区は住民の時効取得を認めない方針で、あくまでも買取を求める姿勢を変更しないようです。今後は、世田谷だけでなく、全国で同様の紛争が多数発生する可能性があります。
これまでの説明で、あぜ道は国有地なのに、世田谷区とのあいだで所有権の帰属を争うことに疑問を持たれた方もいると思います。
少しややこしくなりますが、その経緯をお話します。
あぜ道や水路が国有地となったのは、明治初期の地租改正のときです。
ところが、平成11年に地方分権を推進する目的で475本の法律を改正したり廃止したりする「地方分権一括法」が制定され、その113条で国有財産特別措置法5条1項5号が改正されました。この国有財産特別措置法5条1項5号は、「里道・水路などで、現に公共の用に供されている国有財産を市町村(東京23区を含む)に譲与することができる」という規定です。
この規定に基づき、平成17年3月31日までに市町村が国に申請を出して、里道(畦畔)や水路の譲与を受けることになりました。
譲与の対象になるのは「現に公共の用に供されている」畦畔や水路ですから、すでにあぜ道としての機能を失ったもの(機能喪失財産)は、譲与の対象ではなく、そのまま国の所有になることになりますが、どのあぜ道が機能を残しており、どのあぜ道が機能を失っているかの調査と判断は、譲与申請をする市町村に委ねられました。
自治体によっては、しっかりと調査をして機能を失っていない物件だけを選んで譲与申請したところもありましたが、世田谷区は、現地調査などをすることなく、公図(法務局に備えられた地図)に畦畔・水路と書かれている物件を全て一括して譲与を受けました。
世田谷区が国から区内の畦畔等の一括譲与を受けたのは、平成16年4月1日です。
この国からの譲与をもって、世田谷区は住宅敷地内の畦畔の所有権を主張し、希望するならば住民が買い取るべきだ、との姿勢を取っています。
平成22年3月13日の読売新聞が報じた裁判の事例は、次のようなものです。
住民(土地所有者)は、昭和43年1月23日に、建築業者から世田谷区内の土地付き一戸建てを購入しました。もちろん敷地内に国有地の畦畔が紛れていることなど知りませんから、占有開始から10年が経過した昭和53年1月23日に畦畔を時効取得します。
そして、平成16年4月1日に世田谷区が国から区内の畦畔等の一括譲与を受けます。
その後、平成16年10月23日に所有者の住民は亡くなり、配偶者が土地を相続します。裁判の原告になって、畦畔の時効取得を主張したのは、この配偶者です。
この事例では、
国から住民が昭和43年1月23日に畦畔を時効取得ました。(時効の効果は占有開始時に遡るので、昭和53年1月23日に時効が完成すると、占有を開始した昭和43年1月23日に所有権を取得することになります。)
その後、平成16年4月1日に世田谷区が国から一括譲与を受けて畦畔の所有権を取得しました。
住民と世田谷区のそれぞれが、国から畦畔を取得したので、二重譲渡と同じ結果となります。時効が完成した後では、先に登記を備えた者が所有権を主張できる(対抗関係)のですが、問題となっている畦畔は、地番もなく、登記もありません。
S43.1.23時効 H16.4.1譲与
原告 <------ 国 ------> 世田谷区
(国を起点とする二重譲渡・登記は誰も持っていない)
以上の事実を踏まえて、第1審判決は、世田谷区は時効完成後の第3者であり、登記の欠缺を主張できない背信的悪意者ではないから、登記を備えていない原告住民は畦畔の所有権を主張できない、として原告の主張を退けました。
しかし、第2審の高裁判決は、世田谷区による、対象土地の個別調査をしないまま譲与対象となる道路等の一括譲与申請がなされなければ、原告は国に所有権を主張し得たのだから、譲与を受けた世田谷区が、時効完成後の権利取得者として時効取得者に対し登記の欠缺を主張するのは信義則に反する、として住民の所有権を認めました。
世田谷区は高裁判決を不服として上告しましたが、平成22年3月9日に、最高裁判所第三小法廷は、高裁判決を支持して世田谷区の上告を棄却し、世田谷区の敗訴が確定しました。
これで、すでに取得時効が完成している畦畔については、その後に国から譲与を受けた世田谷区の所有権は認められない、という司法判断が固まりました。
それでは、裁判で争わずに、世田谷区から畦畔を購入してしまった人はどうなるのでしょうか?
世田谷区は、最高裁の判断が出された後も、既に買い取られた141件の売買契約は有効に成立しているから、代金の返還には応じられない、という姿勢です。
しかし、売買契約に際して、世田谷区がどのような説明をしたのかによっては、錯誤無効や取消などの法的理由により売買契約が覆滅され、代金の返還を請求できるケースがあると思われます。
また、これまでは世田谷区の事例を中心にお話ししましたが、国有畦畔の自治体への譲与は全国で行われたので、世田谷だけでなく、全国で同様の問題が発生すると思われます。
(1) 東京司法書士会世田谷支部のホームページにH20.10.30 東京高裁判決をアップしています。
(2) ブログ「世田谷のあぜ道(資料室)」(東京司法書士会世田谷支部ホームページからリンクを張っています)に、畦畔問題に関連する報道、判例、大蔵省通達、区議会議事録などを集めています。
成城事件の1,2審判決と最高裁の上告不受理決定、及び烏山事件の1,2審判決は
世田谷区に情報公開請求をして入手しています。